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ヴァイオリニスト  三戸 素子 さん (その2/3)

モーツァルト週間でデビューしたものの、一度は進む道にとまどいを。心を決め、貴重な体験を重ねてヴァイオリニストとして自立。そして、日本へ。── byゴマッジョ(Photo : Kaneharu Kuramoto) 【クライネス・コンツェルトハウスの公式サイト】

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≫≫ ヴァイオリンを弾いていない自分は? ≪≪

ゴマ “ヴァイオリン少女”がすくすくと成長して音大生になったけれど、なかなか周りと相容れないところがあったようですね。

三戸 日本ではわりと上のほうにいるんだけれど、1位とか2位にはなれなくて、「あなたは変わってる」とか「個性的ね」と言われてました。
 その個性的なところがいいからとコンサートマスターに抜てきされたりしましたが、なにかしっくりこないところがありましたね。
 上手だと評判の人の演奏を聴いても、「上手だな」とは思っても、自分は別にあんな演奏したくないけどなあと、ナマイキに思ったりしてました。

ゴマ すると、留学するのは自然な流れで…。

三戸 ええ、最初からヨーロッパに行くもんだと思っていました。
 実際に行ってみると、むこうのほうが水が合っているというか…。
「お前は、私たちが知ってる典型的で平凡な日本人の演奏じゃなくて、すごくいいじゃないか」と評価してもらいました。
 それで、「そうだ、私が日本でやってたのは塗り絵だったんだ」と気づきました。下絵に一生懸命に絵の具を塗って、はみ出したら減点されていた、と。
 そうじゃなくて、私が自由に描いている絵がいいんだと自信をもつことができました。それがとてもハッピーだったんです。

ゴマ 桐朋学園大学を出て、スイスからオーストリアのザルツブルクへと。

三戸 最初はドイツに行く予定だったんです。ハノーバーにいい先生がいるというので。けど、その先生がジュリアード音楽院に行くためにそのクラスがなくなり、スイスの有名な先生は窮屈な方で合わなかった。
 ザルツブルクには友人もいて、大きすぎず、モーツァルトの街で、音楽に溢れていていると、行くことに。

ゴマ むこうでの演奏活動は?

三戸 わりと順調にすべりだして、大きなコンサートにも出演するようになりました。
 ザルツブルクには毎年恒例の大きなフェスティバルが3つあるんです。ザルツブルク音楽祭とザルツブルク復活祭音楽祭。それとモーツァルト週間。1月生まれのモーツァルトにちなんだ2週間のフェスティバルです。
 そのモーツァルト週間のソリスト・オーディションに受かって、モーツァルトのコンチェルトでデビューしました。モーツァルテウムの大ホールでの演奏は国営放送でライブ中継され、新聞や雑誌の記事にも載りました。

ゴマ 一躍注目されたわけですね。

三戸 次にオファーがきて、コンサートが決まったりしました。
 だけど一方で、何人か私の演奏を批判する人がいて、それでガクッときちゃったんです。落ち込みました。
 
ゴマ いつごろですか。

三戸 国立モーツァルテウム音楽大学を卒業する直前ですね。
 20代も半ばになり、そろそろ帰らなくちゃなと思いつつ、だけどいま帰ってもなとも思い、1年くらい悩みました。
 このあと、本当にヴァイオリンでやっていけるの? って。

ゴマ だれもが一度は行き詰る道ですね。

三戸 母からも「私たちがいなくなったら、一人でやっていくのはたいへんだから、もうすこし安定した道を考えたら」と言われてましたし…。
 自分が、ヴァイオリン弾きとして才能があるのか? 音楽だけで身を立ててゆくんだという踏ん切りがなかなかつきませんでした。

ゴマ 音楽関係の人をかなり知っていますが、職業として音楽を続けるのはとてもたいへんですよね。

三戸 ええ。だけど、弾いていない自分が一番イヤだな、と。もう、のたれ死んでもいい、ヴァイオリンをやってない人生は考えられない…。
 一定の評価も得て、コンサートが始まるときでもあり、自分のやりたいことと現実とのギャップの折り合いをつけるというのがその時期で、かなりきつかったですね。

ゴマ さきほど、「才能」と言われましたが、よく聞く言葉に、「才能というのは資質ではなくて、それを続ける情熱だ」と。

三戸 「もうどうなってもいい、音楽家でやるんだ」と思ったら、そのあとはますます音楽をやるのが好きになったんです。

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≫≫ 日本に帰って仲間づくり ≪≪

ゴマ オーストリアに行ってよかったと感じられたことは?。

三戸 そうですね、本場の音楽に触れることによって、私のもっていた音楽観がそれでいいんだと思えたことですね。音楽はナマもので、その場でどんどん創造できるものなんだと。
 楽譜どおりに美しい音をつくるだけじゃなくて、この音はこの曲でどのような意味があり、この音をどうすればより豊かな世界が描けるのか。
 先ほども言ったように、日本では塗り絵をするようにキチンと音を出せば評価されたけれど、本来はそうじゃなくて、作曲家が込めた思いと自分のインスピレーションを一体化してそこでどうアートするかが大事なんだと。それを実感できたのが、私にはすごくよかったですね。

ゴマ とくにザルツブルクはモーツァルトが生まれた街でもあり…。

三戸 ええ、モーツァルトをたくさん弾いたことがとてもよくて、モーツァルトのことをすごく勉強できました。
 有名なアイネ・クライネ・ナハトムジークは、本番で少なくとも800回は弾きましたし、しばらく在籍していたモーツアルテウム管弦楽団ではモーツァルトの41のシンフォニーの全部を演奏し、主要な歌劇もすべてやりました。
 おかげで、日本人には理解しにくいと言われる、音楽の真髄というものが身についたと思います。

ゴマ コンサートでは多くのヨーロッパの国々を回られた。

三戸 モーツァルト週間でデビューしたあと、いろんなところでリサイタルをする機会に恵まれました。
 そのときに組んだ相手が、国立モーツァルテウム音楽大学の教授で有名なピアニストのお婆さんの先生でした。
 その先生とは7年間、ヨーロッパの各国、ドイツ、イタリア、フランスはもちろん、スイスやスカンジナビアも、ほんとにたくさん回りました。

ゴマ ピアノとのデュオで?
 
三戸 ええ。三戸素子ヴァイオリン・リサイタルという形で、その先生が付いてくださったんです。
 それが貴重な経験になりました。
 コンサート活動をしながら、どうしたら自分の勉強をし、レパートリーを増やしていけるのか。技術の習得のほかに、音楽家として自分を深めてゆくにはどうしたらいいか? 演奏をしながら、勉強をする。

ゴマ 自分を高めながら。

三戸 そうなんです。それがなかなか難しい。
 音大を出ただけ、コンクールに受かっただけではわからない。マネジメントがついても、言われたとおりにやっているだけではダメ。
 その先生といろんなところへ行き、プログラムの組み方、演奏の仕方、それから演奏旅行をどう組み立ててゆくか、などなど実地に経験しました。
 同時に、音楽家としての力をたくわえてゆくにはどうしたらいいか。とてもいい勉強になりました。

ゴマ それがいまになって活きてきていると。
 ではそろそろ、帰国後のことを。日本に帰られたのは。

三戸 1992年です。行ったのが81年。13年近くいたことに。

ゴマ 日本に帰ってからの活動は?

三戸 帰ったあとも、むこうにアパートを残していて、行ったり来たりしていました。引き払ったのは97年です。
 その間も、むこうのピアニストとコンサートをしたりしていました。だから、共演者はむこうの人がほとんどで、日本人の演奏仲間はいない。

ゴマ で、仲間づくりを?

三戸 それで始めたのが、クライネス・コンツェルトハウスです。

ゴマ ドイツ語で、「小さな音楽の館」。

三戸 初めのころは、7~8人の管楽器の人と定期的に演奏会をするようになって、カルテットも作りました。
 海外の友だちとも共演するけれども、日本でやってゆくからには、日本に住んでいる人たちと音楽を共有したい。
 それも、音楽に対する姿勢、音楽観が違っていては一緒にはやれない。みんなが、10年も15年も私と同じ音楽経験をしているわけじゃないけど、音楽に求めるものを互いに認め合ってやってゆきたい。
 ギャラが高くないとやる気がない、有名な共演者とやりたい、リハーサルにあまり時間を費やしたくない、といった人たちとは一緒にはできない。

ゴマ リハーサルにはずいぶん力を入れて。

三戸 ふつうのオーケストラの3倍の時間はかけています。それに付き合って、面白く思ってくれて、いっしょに勉強したい、音楽の深みに入ってゆきたい、という人たちでないとできない。
 
ゴマ ゼイタクですけど、そうでないと音楽は楽しくないですよね。
 仲間が増えてオーケストラになったのは?

三戸 室内オーケストラになったのは、やっと10年くらい前です。
 それまでは、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの弦楽オーケストラだったんです。そして、管楽器が入り、打楽器も加わり、フルオーケストラになったのは7~8年前です。打楽器が入ると、がぜんレパートリーが豊かになります。本当に楽しく、全員で音楽の深みまで入れる人が集まって、やっと30人の規模になりました。
 ときに、50~60人の大編成でやるときもあります。いつもはいっしょにやらないメンバーも参加しますが、多かれ少なかれ、私たちの毒がまわった人たちで(笑い)、私たちとやるのが楽しいという仲間です。

ゴマ 今年の秋9月、所沢での3回目のコンサートになります。
 つづいて、今回の取材のメイン・テーマである「所沢を本拠地とする本格プロオーケストラ 進化する音楽集団 クライネス・コンツェルトハウス管弦楽団」について、お聞きしたいと思います。(2018.6.18取材)