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大野ウクレレ教室 主宰  大野 正 さん (その1)

小学生のときに映画で観たウクレレに興味をいだき、以来70年余。多忙な仕事のなかでもいつもウクレレを手元に置いて寸暇を惜しんで爪弾いてきた大野正さん。経営していた会社を閉じた後は、ウクレレのソロ演奏の普及ののために情熱を注いでいます。(文・写真=ゴマッジョ)

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≫≫ ギタリストの米兵から手ほどき ≪≪

ゴマッジョ(以下、ゴマ) 大野さんとウクレレとの出会いをお聞かせいただけますか?

大野 戦時中の小学3年か4年生のころですが、当時人気の秋芳薫の漫画を映画化した「ハナ子さん」というのを観にいったんです。
 主人公が元宝塚の轟夕起子で、相手役がハワイの日系の灰田勝彦。その映画の中でみんなで歌う場面があって、灰田勝彦がウクレレで伴奏したんです。
 そのときに、「あれっ、あのちっちゃな楽器はなんだろう。ギターじゃないし」と不思議に思ったんです。家にオルガンがあったんですが、あの小さな楽器なら子どもでもできそうだと興味をもったんです。
 それで戦後になって、焼け残ったウクレレを中古屋で親父に買ってもらいました。だけど、楽譜も無いし、どうやって弾くのかまるでわからない。

ゴマ どうやって覚えたんですか?

大野 戦後しばらくして、実家の薬店に来た米兵と知り合ったんです。所沢には進駐軍の基地があって大勢の米兵がいました。私は中学校で英語を習っていたので、勉強になると思って仲良くなった。
 そのうち、米兵に誘われて基地の中にある教会に通うようになりました。
 教会には立派なオルガンがあるんですがだれも弾かなくて、米兵やその家族はアカペラで賛美歌を歌っていた。聞くと、弾ける者がいないと言う。
 私は子どものころから家のオルガンを弾いていたので、「じゃあ、弾こうか」と。ただし、条件をつけて、「昼飯を食わしてくれ」と。なんと言っても、当時はひどい食料難でしたからね。

ゴマ なるほど。伴奏料というわけですね。芸は身を助く。

大野 教会に通っているうちに、「タンク」というニックネームの米兵と知り合いました。彼は実はプロのギタリストで、超一流ミュージシャンのウディ・ハーマンが率いる有名なビッグバンドのメンバーだったんです。
 そのタンクから「ユーは何が好きなんだ」と聞かれて、「オレはウクレレをやりたいんだ」と言ったら、「もっているのか?」「もってる」と。「じゃー、教えてやろうか」と言われ、習うことになりました。
 タンクはとても親切で、アメリカから楽譜を取り寄せて持ってきてくれて、楽譜の見方を教えてくれたり、コードをウクレレ用に直してくれたり。お蔭で、ウクレレの面白さを教えてもらいました。
 だけど、そのあとタンクは朝鮮戦争で戦死してしまいました。本名はついに知りませんでした。彼の写真は今ももっていますが…。

ゴマ タンクさんに習ったのが最初で、その後は正式に教わったのは?

大野 いや、ほとんど独学です。
 一時、灰田勝彦の兄で、作曲家の灰田晴彦さんのところに習いに行ったことがありますが、仕事が忙しいこともあって長くは続きませんでした。せいぜい半年ぐらいだったかな。
 じつは、私が29歳のときに父が亡くなったんです。私は日本刀が好きで、大学院で史学の勉強をしていたんですが、父の死で私が会社を継がざるをえなくなりました。父は薬屋とは別に、歯科向けの医療機械の会社を経営していました。社員も60人くらいいました。
 大学を辞めて、継いだもののそれはもう大変でした。突然でしたし、仕事のことは何も知らない。

ゴマ じゃー、ウクレレをやってる場合じゃない。練習も…。

大野 いやー、なかなかできなかったですよ。
 しかし、いつも車の助手席にウクレレを置いていて、交通渋滞になると嬉しい。すぐにウクレレを手にして弾いていました(笑い)。
 ときどき時間が空いたときは、灰田晴彦さんの一番弟子の渡辺さんとやったりしました。渡辺さんは演奏よりも理論的なことが得意で、お蔭で勉強になりました。3~4年は一緒にやりましたかね。

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≫≫ 西野ウクレレの誕生 ≪≪

ゴマ ウクレレの本場のハワイには?

大野 それが幸いなことに、仕事の関係で何度も立ち寄りました。
 会社の製品の半分が輸出用で、ずいぶん前ですが当時はアメリカに行くのに直行便が無くて、ハワイで給油をする。それで私はいつもハワイで一泊して、ウクレレを作っているサミュエル・カマカのところへ行ってウクレレを作ってもらいました。
 あるとき、サミュエルに「ウクレレ・クレイジーはだれだ?」と聞いたら、「オオノだ」って(笑い)。3~4丁は作ったかな。でも、「もっといい音がでるはずだ」と決して満足はしていませんでした。

 私は歌の伴奏だけでなく、ウクレレでソロの演奏をしたかったんです。そのために、いい音の出るウクレレが欲しかった。そして、西野春平さんとの出会いが私の想いをかなえてくれました。
 40年以上前ですが、家を新築したときにその現場にときどき顔を出していました。そこに岩崎という変わった大工さんがいて、大工道具と一緒にギターをもってきて、休み時間に他の仲間とは離れてギターを弾いていた。それがじつにいい音がする。
「そのギターはどこで買ったんだ?」と聞くと、「近くの西野さんのところのものだ」と言うので紹介してもらいました。
 西野さんのギター工房に行って、「ウクレレを作ってくれないか」と頼んだんです。だけど最初は「作ったことがないし、そもそも見たこともない」と断られたんです。そこで、サミュエルの作ったのをもって行って、「こういうものだ」と頼みこんだんです。
 すると西野さんは、「あの刀の先生でしょう」って、私の名前を言う。私のこと知っていたんです。私は大学を辞めてからも仕事のあとで刀の勉強を続けていて、町のある会合で刀の話をしたことがあった。西野さんも刀が大好きで、その話を聞きに来ていたんですね。
 そんな縁もあって、無理やり西野さんにウクレレを作ってもらうようになりました。その第1号はアメリカに行ってますが。
 西野さんのウクレレは普通のものとは違って、ギターの材質を使っていて、「ウクレレでこんな音がでるの?」というくらいとてもいい音が出るんです。
いろんなメーカーがありますが、西野さんのが一番です。
 私の教室の生徒さんはみんな、西野ウクレレを使っています。
 

ゴマ 先日お聴きした生徒さんたちのコンサートは、「ウクレレソロに魅せられて」というタイトルでしたね。

大野 そうなんです。生徒さんたちはソロをやりたくて通ってくるんです。それには西野ウクレレは欠かせませんね。
 私はさらに欲張ってまた無理を言って、2年ほど前に5絃のウクレレを作ってもらいました。音域がとても広がって、ソロを弾くのがますます楽しくなりました。大満足です。

ゴマ 西野ギターは有名ですが、西野ウクレレというのは?

大野 ありません。そこで私が行って、西野ギター工房の看板のところに「ウクレレ工房」という看板を出しました。私が書いたんですが(笑い)。

──では、続きは演奏活動や教室の話、ウクレレの醍醐味などについてお聞きしたいと思います。(2016.2.15取材)