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シャンソン歌手  増村うらら さん  (その1)

思わぬことからシャンソン歌手に転じた増村うららさんは、天衣無縫な才女。コンサート活動とともに、所沢を中心に120人に余る生徒さんを指導。その活力の源は?── by ゴマッジョ (Photo:kenji Kuramoto)

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≫≫ 「松ノ木小唄」からの華麗なる変身 ≪≪

ゴマッジョ(以下、ゴマ) うららさんがシャンソンを始められたのは、ずいぶんユニークな出会いがあったからとうかがっていますが。

増村うらら(以下、うらら) そうなの。ブラジルのサンパウロにいたときのことがきっかけなんですよ。

ゴマ あら、いつごろですか?

うらら 30過ぎくらいのときね。私、夫の仕事の関係で海外生活が長くて、ブラジルのあとは30代の終わりのころにスペインのマドリッドに行って、3年以上いったりきたりで。また、ブラジルに戻ったり。

ゴマ ラテンばっかりですね。

うらら そうなの。私に合ってるのかしら(笑い)。
 私、以前は踊りを専門にやっていたんです。西野のバレーをちょっとやって、そのあとジャズダンスを始めたの。それが、自慢じゃないけど振り付けがすごく上手で、先生よりうまいものだから、振り付け係をやらされていたの。
 その関係で、サンパウロでサンバをやっているときに、地方のお祭に飛び入りで参加をしたら、あまりにも面白いというので優勝しっちゃったんですよ。
 それで、打ち上げにカラオケに行ったんですよ。

ゴマ そのころには、ブラジルにカラオケがあったんですか?

うらら もうすごくはやっていたんです。日本のカラオケ会社が出入りしていて、サンパウロにはカラオケの店がいっぱいあったんですよ。
 私、音符が読めないんで音楽が大嫌いで、歌がぜんぜんダメ。カラオケで何を歌うかというと、「松ノ木小唄」しかなかったんですよ、歌えるのが。

ゴマ アッハッハッ! チャンチャン、チャカチャン…、松の木ばかりが…

うらら で、「松ノ木小唄」を歌ったら、周りの人たちが総立ちになって、「ブラボー! ブラボー!」って、大喝采されたんです。

ゴマ スタンディングオベーション!? ブラボー? ポルトガル語じゃなくて英語ですか?

うらら アメリカ人やドイツ人やいろんな国の人がいっぱいいたから。
 そのときに、お店のマスターに「アンタ、歌手になりなよ」って言われて、本気にしちゃったんですよ。あれ、お世辞だったらしいんですけど(笑い)。
 それで、歌手になれると思い込んで、主人をそこに置いたまま、すぐに日本に帰ってきたの。

ゴマ アッハッハッ!(笑いが止まらない)

うらら 日本に帰って、大手町にあるカルチャーセンターの産経学園に入って、そこで歌ったら、「あなたはシャンソンだ」と言われたの。

ゴマ 声の質? 発声の仕方?

うらら 私の雰囲気がシャンソンだって。
 ちっちゃいころ、母にフランス映画ばっかり観せられたんですよ。フランスパンが好きな人だったから(笑い)。それで、「パリ野郎」や「パリ祭」とか映画の中で流れているシャンソンが、頭の中にいっぱい詰まっていたのね。

ゴマ やはり、どこかでつながってるんですね。

うらら それで、吉祥寺の近くにシャンソン教室を見つけて、そこに入って、先生の前で1曲歌ったの。「枯葉」を。そうしたら、青木裕史さんという歌手の先生から、「あんた、コンクールに出る?」っていきなり言われたの。
 私、おだてに乗るのが嬉しい女だから、コンクールに出るしかないと思って出たんです。でも、歌わないで、踊って帰ってきたんですよ。

ゴマ えっ!? 歌わないで? なに、踊ったんですか?

うらら みんなの歌を聴いて恥ずかしくなって、興奮して声が出なくなって。ジャズダンスやってたから、テキトウに、サァーと1曲踊って帰ってきた。
 そしたら、コンクールの主催者から、「来年、出てください」って。そこからシャンソンに病みつきになって…。

ゴマ んーー! 「松ノ木小唄」と踊りで、シャンソン歌手うららの誕生!

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≫≫ 譜面の流れが頭の中に ≪≪

うらら それで歌いだしたんだけれど、ずっとみんなから「下手だ、下手だ」だとバカ扱いされていたのよ。

ゴマ どっ、どうして、バカにされたんですか?

うらら シャンソンを始めて2~3年目から、自分で企画してどんどんコンサートを主催してたの。新宿のヴィプランシアターとか、いろんなところで。で、舞台に出たときに、私、自分の世界に浸っちゃって、気持ち悪い声で歌うものだから、みんなから嫌がられたのね。
 先生に習っていたけれど、教えられたとおりには歌わないわね、私は。だから、自己流でシャンソンになってなかったのね。
 それで、自分が下手だと気づいて、本格的に勉強を始めたの。

ゴマ うららさんの恩師というと、どなたが?

うらら 一番の心の恩師というと、土岐雄一郎さんなんですよ。作曲や編曲、訳詞なんかですごく有名で、いろんなシャンソンの本を出している人。
 この人が、「あなたは面白い、日本人には珍しい」とすごく私を可愛がってくれて、カルメンで有名なジジ・ジャンメールに似てる、なんて言われて、また舞い上がったりして…(笑い)。

ゴマ 歌のレッスンはどなたに?

うらら 最初の先生は宇井あきらさん。土岐さんに、「宇井さんに付きなさい」って紹介されて、個人レッスンをしていただきました。
 宇井先生はご自身も歌われるし、日本シャンソン協会の理事で、評論家で作曲家。菅原洋一さんのあの「今日でお別れ」を作曲された方です。

ゴマ あっ、私も前はよくカラオケで歌ってました(笑い)。

うらら そのあと、ずいぶんお世話になったのが庄司淳さん。
 シャンソンとカンツォーネのベテラン歌手の方で、CDやDVDをたくさん出されています。ずぅーと、私の家に来ていただいて、教えてもらったの。

ゴマ 個人レッスンですか?

うらら いいえ、10人ほど他の人も呼んで、グループレッスン。それと、庄司先生には、楽譜の面でとても面倒をみていただきました。
 私、楽器もなんにもできないし、譜面が読めないから。いまでもダメ。

ゴマ 新所沢や小手指、ご自宅と大勢の生徒さんをもっておられますが、譜面が読めないと、生徒さんに教えるのに苦労しないですか?

うらら それが面白いことに、(インチキ先生って自分で言ってるんだけど)、教えながら譜面の流れが全部、頭の中に出ているんですネ。
 どこで何拍休んで、どこで折り返すとか、みんなわかっちゃうんです。

ゴマ 譜面のイメージで?

うらら ええ、音符を見て歌えるというんじゃなくて、一度教えた歌は全部、譜面が頭の中に入ってる。これって、何なんでしょうね。

ゴマ 似たような話で、将棋の升田幸三名人が子供のころ、たくさんの雀が一斉に飛び立つのを見て、その数を数えたというのを読んだことがあります。一瞬のイメージを眼の中に焼き付けて、それを数えたそうです。
 音声や画像などの雑多な情報を処理する「パターン認識」というものなんでしょうね。うららさんの特殊な才能ですね。

うらら 私、今年の7月からジャズを習い始めたんですけど、最近になってシャンソンとの共通点と相違点に気づいたんですよ。
 共通点というと、ジャズの先生が生徒さんに「音符どおりには歌わないように」と注意されるんですが、これは私がこの18年間シャンソン教室で言い続けてきたことで、歌の心を伝えるためにとても大切なことだと思います。
 相違点としては、シャンソンは「語り」であるために、日本語に訳された場合、美しい日本語を語らなければならないんですね。また、3分間のドラマですから、役者でなければならない。
 ジャズはたぶん、発音やリズム感のほうが大切だと思います。

ゴマ 他のジャンルを経験することで、いろんな気付きがあるということですね。 

 それでは少し休憩して、うららさんの有り余る才能の別の面に迫りたいと思います。
(2011.8.3取材)