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指揮者  米崎 栄和 さん (その3)

「プライドを捨てろ」恩師の叱責に奮起して、目標に向かって邁進。チャンスを活かして指揮者への扉を開く。つねに基本に戻ることを念頭に日々精進を。── byゴマッジョ(Photo : kenji Kuramoto) 【米崎さんの公式サイト】

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≫≫ 最初で最後の挑戦で最高位に ≪≪

ゴマ 音楽家としては遅いスタートになりましたが。

米崎 2003年の春に東京音大の研究生を修了したのが34歳。
 まずは、指揮のコンクールに出ようといろいろ探しましたが、国際指揮コンクールというのは年齢制限があるんですよ。だいたいが35歳。

ゴマ 若手の登竜門という位置付けですね。

米崎 そうです。それで探したら、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールしか残っていなかったんです。指揮と作曲のコンクールが1年ごとに開かれていて、その年は指揮の年の順番だった。

ゴマ 作曲の年だったらチャンスがなかったわけですね。

米崎 ふつう、コンクールを受ける者は、小さなコンクールに出て腕をみがいて、だんだん大きなのに挑戦するものなんですが、ブザンソンは世界で一番大きなコンクール。昔、小澤征爾先生が優勝したコンクールです。
 「よりによって、最初で最後のコンクールがこれか!」と。

ゴマ 初挑戦でいきなり。

米崎 ええ、あせりました。
 ところで、国際コンクールというのはだいたい書類審査があって、出場が絞られるのがふつうですが、このコンクールは全員が受けられるんです。
 
ゴマ 予選はないんですか?

米崎 あります。予選は6月にありました。この年は世界で220人がエントリーして、9月の本選に残れるのが20人。ある意味、これが一番難しい。
 予選は世界の3つの会場で行なわれ、サンクトペテルブルグ、ニューヨーク、ブザンソンの3カ所。みんな自分の受けやすい会場に行きます。私はサンクトペテルブルグで受けて、運よく20人に残ることができました。
 その中に日本人が3人いたんですが、本選の一次審査で10人になり、日本人は私一人に。そして二次審査で6人になり、セミファイナルで3人が残り、運良くその一人になりました。

ゴマ コンクールの進め方は?

米崎 予選では、二人のピアニストを相手に指揮をしましたが、本選ではすべてオーケストラを指揮する。どちらも課題曲があり、本選では12の課題曲がありました。
 ファイナルでは、前の年の作曲コンクールで優勝をした曲と、ピアノコンチェルトをやり、最後はベルリオーズの「幻想交響曲」の第5楽章“魔女の夜宴の夢”を指揮しました。
 ふつうのコンクールでは、3位までの順位を付けるのですが、ブザンソンでは2、3位はなしで、グランプリだけ選ぶのです。しかし、この年は該当者なしで、日本人とカナダ人、ロシア人の3人が最高位ということになりました。3人とも自分がグランプリだと思っている(笑い)。
 やはり、グランプリが欲しかったですね。

ゴマ それにしても、唯一のチャンスを見事に活かして…。
 そうして指揮者の道が開かれたわけですよね。

米崎 ほんとうに運がよかったと思いますよ。
 それもあって、音楽事務所に所属することができた。最初は、ジャパン・アーツという大手に6年間いました。そのあと、別のところに3年間。
 今は、個人でやっています。もともと、独立して活動したいという気持ちが強かったもので…。

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≫≫ 悪いオーケストラはいない、悪いのは… ≪≪

ゴマ 30歳で決断されたんですが、やはりいろいろ悩まれたでしょうね。

米崎 そうですね。自分にとって音楽というのは何よりも大事なもので、一番好きなもの。それを仕事にするのかどうか、とても悩みましたね。このまま趣味にしていたほうがいいのでは、と。指揮者になれるという保障はどこにもないし、可能性は非常に低い。
 でも、30歳になって、これが決断する最後のときだと。

ゴマ 子どものころに観たカラヤンに魅せられて、以来夢見ていた道ですから、どうしても突き進みたい、と。

米崎 で、実際に本格的に勉強に取り組んでみると、改めて大変なことだと。先ほども言った「音楽力」のところですね。

ゴマ 人間力的なものも含めて…。

米崎 それもあると思います。
 楽譜を見て、構想を練って、どういうふうに音楽を作ってゆくか、どういう流れを作ってゆくか、というのが指揮者の役割です。
 その流れにちゃんと乗っかったうえで、譜面に書いてあるものを活きた音楽として表現ができたときに、名演奏になる。 

ゴマ 指揮というのは、大げさに言うと、楽器や声楽の演奏者との対決だという面もあるのではと思いますが。

米崎 音楽家はみんな個性があるし、自分の音楽性をもっています。それを一つの方向に向けて、一人ひとりの持ち味、力をうまく引き出されたときに名演奏が生まれる。もちろん楽団もそれぞれに個性があります。

ゴマ その個性・音楽性と指揮者の音楽性の掏り合わせが勝負どころでは。

米崎 みんなは、すぐに見抜きますからね。指揮者に音楽力がないとわかると、指揮を見なくなったりしますから。
 優秀な楽団だと、力の無い指揮者だと感じると、自分たちだけで演奏していい音楽をする。それを、指揮者は自分のお蔭と勘違いして…(笑い)。

ゴマ それは…。

米崎 金言があるんですよ。「悪いオーケストラはいない。悪い指揮者がいるだけだ」と。その言葉をいま、すごく大事にしています。
 悪い音楽家はいない。オーケストラを活かすも殺すも指揮者なんです。みんなが持っている音楽を引き出せなかったら、自分は失格だと思っている。

ゴマ 改めてお聞きしますが、指揮の醍醐味は?

米崎 指揮者というのは、ある意味でズルイ職業です。自分では音は出さない。だけど、オケがいい演奏をすればいい指揮者だとほめられる。
 そして、共演してるみんなが喜んでくれるのがすごく嬉しいですね。ひいては、お客さんに、「今日の演奏会に来てよかった」と思ってもらえれば、これは一番ハッピーですね。
 音楽には医者のようには病気は治せないけれど、人の心に訴える力がある。
 変な例えだけれど、喧嘩をしていた夫婦が、予定していた演奏会に行って、好きな音楽を聴いて、「ああ、よかった」と仲直りしたり(笑い)。感動して、心が豊かになって…。この感動ばかりはお金じゃ買えない。
 そういうのを味わうと、「やめられまへんなー」となっちゃう。

ゴマ そこで、大阪弁が出ますか(笑い)。
 私は、所沢市民吹奏楽団の第40回定期演奏会で、米崎さんが客演で指揮された「展覧会の絵」を聴かせていただきました。そのとき、専門的なことはよく解りませんが、人を楽しませるのが上手だなーと感心しました。

米崎 いやー、もともと好き勝手で、自分中心の人間だったんですけど、いろいろ失敗を重ねてきてますから、そのたびに反省して。

ゴマ それが活きてくるんでしょうね。
 ところで、若い人たちへのエールをひとつお願いします。

米崎 所沢市民吹奏楽団の話が出たので、それに関連して言うと、彼らのいいところは、すごくきれいな気持ちで、変なプライドが無いところです。
 私は湯浅先生に、鼻をへし折られました。そして、「なんで、30歳を過ぎて指揮者になるのが難しいかわかるか」、「プライドがじゃまをする」と。

ゴマ なるほど!

米崎 変なプライド、自分は才能があるとか思い込んでる。それを取り除いて、自分の素の状態を見つめなければならない。

ゴマ 30を過ぎると変なクセが付いている。

米崎 それも本人が気がついていないと、ゼロに戻すのが大変ですね。18や19ならすぐに直せるが…。

ゴマ つまり、いかに基本に戻ることが大事かと。その積み重ねが…。

米崎 それを自分に言い聞かせています。
 若い人には、自分はどういう状況なのかをしっかり把握しつつ、基本をベースにしながら、目標をもち続けてもらいたいと思います。
 そのうえで、どんどん冒険もしてほしいですね。

ゴマ 座右の銘などは?

米崎 繰り返しになりますが、「悪い音楽家はいない。うまくいかないときは、指揮者が悪い」と、肝に銘じています。
 話は離れますが、所沢は私の故郷と言っていいぐらいで、何か地元のためにお役に立ちたいと思っています。

ゴマ 少年のときに趣味から始めた指揮が、本業になったわけですが、いまの趣味といいますと?

米崎 やはり電車が好きですね。こっちに来れば西武電車。昔のレッドアローのクリーム色の車体がかっこよかった。富山に行ったときに、富山地方鉄道であのレッドアローが走っているのを見たときは感動しました。
 いまも、電車に乗ったときは一番前に行って、運転席のスピード・メーターを見ています。
 最初に、阪急電車の運転手になりたかったと言いましたが、実はその前があるんです。3歳くらいのときは、阪急電車になりたかった。
 これはネー、なかなか解ってもらえない。

ゴマ 面白い!! これはぜひ、記事にしなければ(笑い)。

米崎 昔、夏の夜に吊るす蚊帳(カヤ)があったじゃないですか。
 ヘッドライトを付けて、自分が電車になったつもりでその蚊帳にもぐっていったり…。

ゴマ 解ります、解ります。目に浮かぶようです。そのワクワク感が伝わってきます。そして、いまの指揮の姿とダブってくるような…(笑い)。稚気愛すべしと言うか。
 本日は長時間のお話、ありがとうございました。ますますのご活躍を祈念しています。(2016.5.30取材)