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ジャズハウス・スワン 50周年 (その3)

ジャズファンによく知られたスワン。多くの常連さんがおられます。中でも開店の翌年から出入りされたという小林敏夫さんは、今もスワンに通われています。その小林さんに、スワンとの出会い、先代マスターやママのこと、ジャズ仲間などのお話をお聞きしました。 (文=ゴマッジョ)

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■◆● 週に4回スワンに 家族旅行にも ●◆■

ゴマ スワンは今年、50周年を迎えました。
 小林さんは古くからのお客さんだとお聞きしていますが、スワンにはいつから行かれるように? きっかけは何だったんですか。

小林 最初に行ったのは、浪人中の6月でしたね。とすると、1966年ですか。
 コンサートの帰りに恐る恐る入ったのを覚えています。

ゴマ それはジャズのコンサート?

小林 いや、ロックです。例のビートルズの武道館公演です。友人の父親があのイベントの関係者で、チケットがあるからと誘われたんです。
 私はそんなに興味はなかったんですが、もう二度と来ないかも知れないからと、聴きに行ったんです。
 8時ごろに終わって所沢に帰ってきたんですが、自宅のある峰の坂に行くバスにはまだ時間があって、コンサートの余韻でちょっと熱くなっていたものだから、前の年にできて気になっていたスワンに入ったんです。

ゴマ 当時はどんな音楽に興味を? ジャズは聴いていたんですか。

小林 いや、ジャズは聴いていなかったですね。だいたい、フォークとか、ベンチャーズ、それとクラシックなんかも。
 ただ、若さゆえの好奇心というか、大人っぽい雰囲気のするジャズって、どんなだろうかと、のぞいてみたいと思っていました。

ゴマ 恐々(こわごわ)のぞいてみていかがでしたか?

小林 まったくの異空間でしたね。とくに2階のジャズのスペースが。
 1階はカウンターがあって、仕切りがあって、内側が喫茶スペース。小さなスピーカーがあり、ジュークボックスとピアノが置いてあった。
 2階は大きなスピーカーからジャズが流れていて、それ以外はシーンとしていて、みんな黙って腕組んで聴いている。「何、これっ!」って感じです。
 社会に出て、何度か海外に行く機会がありましたが、日本だけですよ、ジャズ喫茶で腕を組んで聴くとういのは。そもそも外国にはジャズ喫茶がない。
 有名なオーディオ評論家が、「ジャズ喫茶は日本の文化である」なんて言ってますが、その通りですね。

ゴマ 以来、異空間にどっぷりと。

小林 ええ、だけど大学時代はほとんど行きませんでした。当時は大学闘争や70年安保などがあり、大学はロックアウトされたりしていました。
 スワンに頻繁に通いだしたのは、働きだして、自分の金で遊ぶとこができるようになってからですね。週に4回くらいは通ったものです。
 ジャズは腕組んで聴くものではないと思っていたから、行くのはだいたい1階で、カウンターに座って2階から流れるジャズをBGMに飲んだくれて、ジュークボックスからサザンの「いとしのエリー」が流れたりすると、みんなで合唱したり。マスターは北原ミレイの「石狩挽歌」がお気に入りでした。
 そして、たまにじっくりジャズを聴きたいというときは、「これかけてよ」と言って、2階に上がったりしました。
 
 よく来る客には、3つのグループがあって、私が勤めていたNTT(元の電電公社)のほかに、ティアックさんと安川電機さんの人たちがいました。
 2階で、クリフォード・ブラウンの「ストリングス」がかかると、それが「蛍の光」の代わりで2階は閉店です。客が居れば、1階はその後も営業していました。自宅が近い私は、適当に帰ればという感じでしたが、遠くまで帰る安川の人の話によると、マスターとママが車で送ってくれたりしたようです。「その代わり、カンバンまで居ろ」と言われたそうです。

ゴマ 昼も営業していたんですか?。

小林 昼は12時ころから開いていましたね。
 私がペーペー社員のころは宿直があったんです。その日は午後4時出勤なんですが、11時ころに家を出てスワンが開くのを待って、昼飯を食べてコーヒーを飲んでから会社に行って、宿直明けの翌朝は9時か10時に会社を出て、ちょっと時間をつぶして、またスワンに行って…(笑い)。
 よくお袋に「何でそんなにスワンがいいんだよ」って呆れられました。
 
ゴマ スワン中心の生活だったんですね。

小林 お店だけでなくて、家族ぐるみの付き合いをしてもらいましたよ。確か、3度ほど引越しされたと思いますが、どの家にも何回もうかがっています。新年には必ず、仲間と集まってドンチャン騒ぎをしたものです。
 旅行にも何度も行きました。麻季ちゃんや弟の卓(タク)と、飲べえ仲間と一緒に。一番覚えているのは、新島に行ったときのこと。熱海から船に乗ったんですが、海が大荒れでみんなゲロを吐きながらやっとたどり着いて、そこで一泊して式根島に行ったんですが、また大荒れ。
 へとへとになって着いて、海辺の地鉈温泉に入ってから、大はしゃぎ。ただし、麻季ちゃんたちがいるときは、下ネタは禁止ということで…。
 また、私の言い出しっぺで、「スワン放蕩倶楽部」なんてのを作ってました。そこの写真好きとヌード撮影会をしたり。お店や旅行のときに、山頭火もどきの俳句をひねってみたり。パイプ倶楽部なんていうのもありました。遊び心のある連中がいて、楽しかったですね。

 結婚するときも、女房を連れて挨拶に行きました。新婚旅行は北海道だったんですが、向こうに着いてからマスターに「札幌のジャズ喫茶を教えて」と電話をして、探してもらいました(笑い)。女房は、「何でここまで来て」とお冠でしたが、聴きたいのだから仕方がない。

(註:左の2枚目の写真=1966年に来日したコルトレーンのライヴの特大写真。お客さんが撮ったものとか。今もスワンの店内に)

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■◆● スワンとの出会いは人生の一部 ●◆■

ゴマ 三角スワンでは、早くからライヴをやっていたそうですね。

小林 ライヴ、やってましたよ。
 出演者でよく覚えているのは、ベースの鈴木勲さん、もう重鎮ですね。それと、ドラムの中村達也さん。「スイングジャーナル」編集長の岩浪洋三さんのパートナーだったヴィブラフォンの阿見紀代子さんとか。かなり有名なミュージシャンが出ていましたね。
 それからこんなエピソードがありました。ライヴではなくて、スワン主催で市民公民館(今の中央公民館)での、ソニー・クリス・カルテットのコンサートを企画したんです。
 そのチケットが残っていますが、1977年の11月27日が開催日。だけど、1週間前の19日にソニー・クリスがピストル自殺をしてしまったんです。
 その代役として、秋吉敏子さんとルー・タバキンが出てくれたんです。そのお二人が三角スワンに挨拶にみえたときに、私も居合わせました。
 ちなみに、この企画の後援は「スワン放蕩倶楽部」でした(笑い)。

 余談ですが、スワン以外にも岩手県一関の伝説のジャズ喫茶「ベイシー」など、いくつかの有名な店にも足を運びました。
 そこに出ているミュージシャンに、「以前、スワンでお聴きました」と挨拶をすると、親しく話ができて、一緒にいた人から、「小林さん、あんな人と知り合いなんてすごいね」と感心されたりしました。

ゴマ 先代ママの思い出は? 絵がお上手だとうかがいました。。

小林 ママは小・中学校の私の大先輩であり、大学の後輩です(笑い)。
 私は武蔵野美大の油絵科の出なんですが、ママが絵が好きだから、ああだこうだと話をして、たきつけたようなものです。それで、ママは武蔵美の通信教育で絵の勉強をされたようです。
(註:右の2枚目の写真=先代ママが描いた油絵)
(註:右の3枚目の写真=先代ママが描いた絵を、山崎弘一カルッテットのCDのカバーに)

 ママはフランクで情熱的な人でしたね。我々のわがままをきいてくれて、可愛がってもらいましたが、あまり羽目を外すと、かなりきつく叱られた連中もいましたね。出入り禁止になったのもいます。
 亡くなったときは、葬儀に参列させていただきました。

ゴマ マスターはジャズ談義なんかはされたんですか?

小林 いや、そういうことはあまりしない人でしたね。
 中央線沿線なんかでよく、薀蓄(うんちく)をたれるのが好きなマスターがいますが、あの人は客が何を聴いてても黙ってましたね。

ゴマ 麻季さんの話では、お客とよくけんかをしていたとのことですが。

小林 中には焚きつけるのもいるんですよ。マスターは客に好みを押し付けるようなことはしなかったですよ。
 だけど、酔っ払うと、ちょっとどもって、「ビビビビバビバッ、ビバッ」と口ずさんで、「要するにバップ、それがジャズだ」なんて言ってたことも。
 マスターは三角スワンのころは、ソニー・ロリンズが好きで、晩年になってからはコルトレーンが好きになりましたね。

ゴマ 所沢の三角スワンと新所沢のスワンについてはいかがですか?

小林 向こうのときは、ジャズだけじゃなくて仲間との遊び場みたいなところでしたが、こちらのスワンはジャズを聴く空間。比較は出来ないですね。
 こちらに移ってからは、そんなに頻繁ではないですが、転勤してたとき以外はときどき来ていました。先代が亡くなったときは、小笠原に出張していて葬儀に来れなかったのが残念です。
 今は週1くらいの感じですかね。ボチボチ来ています。

ゴマ 50年近く、スワンをずいぶん楽しまれたんですね。

小林 えー、青春の思い出というよりも、完全に人生の一部ですね。今でもそれを引きずっているわけだから。
 自身でも6,000枚ほどのレコードを集めたし、プレイヤーやアンプもかなり揃えましたね。自宅の離れに置いていますが、傾くほどです。
 そこに、昔からの仲間が酒の肴をもって集まって、レコードを聴きながらの宴会をしてます。昨日も来て、遅くまで飲んで疲れました(笑い)。

ゴマ いい音楽と仲間に囲まれて、充実した時間を過ごされていますね。
 またときどきスワンでお会いして、楽しいお話をお聞かせいただけたらと思います。
 本日はありがとうございました。(2015.3.6取材)
 【スワンのサイトはこちら】