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ジャズハウス・スワン 50周年  (その1)

1965年に所沢駅前にジャズ喫茶スワンがオープン。その後、店は新所沢の駅近くの現在地に移転し、ジャズハウスとして今年で50周年を迎えました。マスターもママも2代目に。その2代目のマスター須藤義雄(すとうよしお)さんにお話をうかがいました。(文=ゴマッジョ)

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■◆● 純喫茶からジャズ喫茶のスワンへ ●◆■

ゴマッジョ(以下、ゴマ) スワンは今年が50周年ですが、お店はその前からあったとうかがいました。

須藤 ええ、先代のママのお母さんが、娘に店をやらせようと1963年に営業許可をとっているんです。
 最初は純喫茶で、まちぞう(野老澤町造商店)の三上博史さんに撮ってもらった写真が残っています。(註:上の左)
 「三角スワン」として親しまれていたそうです。

ゴマ ジャズ喫茶になったのは、65年からですね。

須藤 そうなりますね。ママがやっていたお店に、マスターがお客で来るようになって、良い仲になって、それからジャズの店になったと聞いています。

ゴマ 当然、マスターは若かった?

須藤 早稲田の学生だったそうです。ジャズ研ではなくて、ジャズ鑑賞部のほうだった、なんて言ってました(笑い)。ご本人は文学部だと言ってましたが、商学部だという説もあります。
 40年生まれですから、今生きてれば75歳になりますね。
 大学を中退して、友達の関係の貿易会社に入って、スワンが新所沢に移るまでは、店の手伝いと二束の草鞋をはいていたようです。
 75年ころの店の写真がこれです。(註:上の左から2枚目)

ゴマ 上の看板に、「1F COFFEE & WINE 2F JAZZ ROOM」と書いてありますね。
 下には、「Great music drinks」と「Plus Delicious food」と。
 一番上の「SWING SWAN」の左の、耳からトランペットが出ているオジサンのイラストは、今も使ってられますね。これはどこから?

須藤 この「LEONARD FEATHER PRESENTS BOP」のジャケット絵です。(註:左の2枚目写真)
 トランペット奏者の藤本忍さんから、「これ、マスターに似てるんじゃない?」と言われて、マスターが気に入ったということです。
 店にかかっているトランペットは、藤本さんのもので、ママがペインティングして、演奏中のCDのケース置きになっています。(註:左の3枚目写真)

ゴマ 須藤さんが2代目のマスターになって、今年で14年目になるということですね。その前のことは、2代目ママの麻季さんや、古くからのお客さんにもお聞きしたいと思っています。
 ところで、そもそも2代目の来歴は?(笑い)。

須藤 私は二十歳まで仙台にいましたから、所沢の話はこちらに来て聞いたことばかりですからね。

ゴマ 仙台にいたころは音楽をやっておられた?
 
須藤 ええ、小さいときはずっとエレクトーンをやっていて、小学校のブラスバンド部ではサックスを吹いてました。
 中学校から仲間とバンドをやり始めました。楽器をもち寄って、オレはギター、オレはドラムとか、みんながやりたいのを言って、「じゃあ、オレ、歌できないから、ベースやる」と、エレキベースを弾くようになりました。
 バンドに憧れていたので、楽器は何でもよかったんです。

ゴマ こちらに来たのは、やはり音楽がらみで? 

須藤 そうですね。ロック・ミュージシャンを目指していて、バンドをやりたいと思って出てきたんです。

ゴマ 今もベースを弾いておられるんですか。

須藤 いや、もう20年くらいやってないですね。
 CD屋で働き出して、いろんなものを聴いているうちに、「こんなにいい音楽が聴けるのなら、自分でやる必要はないな」と(笑い)。

ゴマ CD屋といいますと?

須藤 最初は、上福岡にあるハリウッドレコードにバイトで入って、社員になって、そのうちに新所沢店の店長になれということで、こちらへ。
 今の新所沢の店は独立した経営になっていますが、そのオーナーは、上福岡時代に私に仕事を教えてくれた人です。
 ハリウッドレコードでバイトをしていたギタリストの天野丘さんは、そのオーナーの中学の同級生で、私もこちらに来たときからの知り合いです。

ゴマ それで、近くのスワンに飲みに行くようになって、そこのママの麻季さんと親しくなってマスターに。先代と同じケースですね(笑い)。
 麻季さんと結婚されたのはいつですか?

須藤 2000年です。その少し後にハリウッドを辞めて、いずれスワンをやるからと、バーテンダースクールに行ったりしました。

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■◆● 縁のミュージシャンのフェスを ●◆■

ゴマ 先代とは、ジャズの話なんかはされましたか?

須藤 とくにジャズの話はしませんでしたね。ただ、私がスワンに入るときに、「これを読みなさい」と、本を渡されたんです。評論家の油井正一さんの「ジャズの歴史物語」という、ジャズを知るためのバイブルのような本です。

ゴマ 棚にぎっしりとレコードが詰まっていますが、CDなどを含めて10,000枚もあるとか。どういうふうに並んでいるんですか。

須藤 バンド・リーダーの楽器別に分かれていますが、ABC順とかにはなっていないんです。この辺にサックス、この辺にピアノとか。それにその中も順番には並んでいないんです。けっこうグチャグチャです。
 でも、お客さんから、「あれを聴きたい」と言われたら、どこにあるか、大体は分かります。私しか知らない(笑い)。
 以前は、基地の米兵からレコードを買ったりしたようです。普通に輸入すると輸送費がかかるし、1ドルが360円の時代で高価だし、国内版が出るのに2~3年かかったりで、なかなか手に入りにくかった。
 先代は、「日本で一番新しいのが聴ける」と言ってましたね。

ゴマ 私がスワンに初めて来たのは、先代のお別れ会の前の晩だったんです。
 お別れ会にはずいぶん大勢が来られたと聞いています。

須藤 2007年の2月4日にお別れ会をしました。ママのときはミューズでやったんですが、マスターのときは店でやろうということで、ゆかりのあるミュージシャンに連絡をしました。
 プログラムとかはなくて、来られたミュージシャンがセッション形式で次々に演奏して、昼の3時ころから始めて、夜中まで続きました。お客さんも含めて、100人ほどの方に来てもらいました。当然、店には入り切れなくて、入れ代わり立ち代わりという具合でした。
 
ゴマ 50年の間には、多くのミュージシャンがスワンで出ておられますが、ライヴはいつごろからするようになったんですか?

須藤 69年ころからだと聞いています。最初は月に1回で、ハウスピアニストとして本田竹広さんにお願いしていたそうです。
 「福生にすごいピアニストがいる」という本田さんの噂で聴きに出かけていって、「ぜひうちで」と頼んだということです。

ゴマ あの伝説のピアニストの本田竹広さんですか。たしか、10年近く前に亡くなられましたね。新聞で追悼記事を読みました。奥さんのチコ本田さんは、今もスワンで定期的にライヴをやっておられますね。
 ライヴは月1からだんだん数多くやるようになったんですね。

須藤 ええ、そのうちに毎週土曜日にやるようになって、ママが亡くなって麻季の弟の卓(タク)が手伝いだしたころから、金曜日もやるようになったとか。

ゴマ セッションはいつから始めたんですか?

須藤 セッションは最初は第3日曜日だけで、高木宏真さんが始めて、昨年の秋に20周年の240回記念をやりました。
 海老原しのぶさんの第2日曜日のヴォーカル・セッションは96年にスタートして、2012年の9月まで200回続けてもらいました。
 私が始めた今の第1日曜日のジャムセッションは、最初は第4日曜日で、今の諸岡大也さんはそのころからのメンバーです。
 この1月に、ここで7年ぶりにライヴをしたベーシストの越坂部智彦くんは、第4のころからよく来ていました。当時は学生でしたね。

ゴマ いろいろお聞きしましたが、そろそろ締めに(笑い)。
 50年というのは大きな節目だと思いますが、これからのスワンについて。 

須藤 まず、とにかく店を続けてゆくことが第一ですね。
 ごく具体的なこととしては、オーディオに手を入れたいなと。メンテをしたいですね。いまの音は、スワンの本当の音とは言えないなと思ってます。
 機材の古いのは関係ないんですけど、その中の消耗や劣化する部分に手を入れて、もっといい音楽環境で聴いてもらいたいですね。

ゴマ イベントの企画などはいかがですか?

須藤 そうですね。スワン主催でジャズ・フェスティバルができればと思っています。もちろん、うちに出ているミュージシャンのためのフェスです。
 やるとしたら、ミューズのマーキーホールくらいの規模でやりたい。あるいは、航空記念公園の野外ステージでやるのも面白いですね。

 またそれとは別に、スワンをもっと活用してもらいたいと思っています。
 たとえば、レッスンやライヴの会場として使ってもらうとか。ライヴの場合は、チャージを1,000円くらいにして20人くらいのお客を集める。ギャラは出ないけれど、自分のフトコロを痛めないでジャズができるんですよ。
 それと、パーティ会場としても使ってもらえます。好きな音楽をかけたり、演奏したり、飲み食いもできて楽しんでいただければと思います。

ゴマ いろんな形で音楽のある生活を楽しめるということですね。
 私たちは、所沢市の推進する「音楽のあるまちづくり」プロジェクトの協力団体として活動しています。スワンさんはそれを象徴する旗頭として、存在価値をますます高めていっていただければと思います。
 今後の10年20年を期待しています。
 本日はありがとうございました。(2015.1.28取材)
 【スワンのサイトはこちら】