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祝!  MOJO(モジョ)開店10周年 (その1)

もはや所沢の音楽シーンの名物となったMOJO。音楽喫茶と銘打っているものの、むしろ音楽酒場といったところですが、7月10日でめでたく10周年を迎えました。そこで、マスターの「ショータローさん」こと工藤昭太郎さんに、10年を振り返ってのお話を伺いました。(文・写真=ゴマッジョ)

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■◆● 食べて飲んで音楽を楽しむ店を ●◆■

ゴマッジョ(以下、ゴマ) 開店10周年おめでとうございます。7月13日が記念パーティーで、私もお伺いしました。大いに盛り上がりましたね。 
 ところで、店を始めるまではどんな仕事をされていたんですか?

工藤 もともとはサラリーマンで、22歳からほぼ10年間、プラスチックの製造工場で働いてました。
 オヤジと一族が経営している会社で、トヨタの下請けでした。本社は板橋でしたが、仕事場は、所沢や三芳や坂戸など、埼玉が多かったですね。
 そこでは、営業から工場の現場や、製造管理や品質管理など、一通りのことを経験しました。それが今の仕事にすごく役に立っています。

ゴマ どういう点が役立ったんですか?

工藤 顧客満足の考え方とか、クオリティーコントロール(品質管理)の仕方とか、ISOなど、製造業では当然の取り組みですが、飲食業にはそういう発想がないんですね。
 飲食業にもそういうビジネスプランが必要だと思ったんです。

ゴマ ISO(国際標準化機構)では「顧客重視」が、マネジメントの第一番の原則ですね。

工藤 えー、そうなんです。お客さんの立場に立って考えるというのが、ウチの店の開店当時からの原則です。

ゴマ 10年サラリーマンをやって、そこから脱サラ?

工藤 30歳を過ぎて、製造業も先が見えてきたし、「もうサラリーマンはいいかな」と。ボクはもともと世襲というのにはネガティブで、長男だったけれど、オヤジの後を継ぐ気がなかった。
 外の血を入れるほうが会社のためにもいいと考えていた。オヤジとはいろいろとやり合って、2度ほど勘当されました。

ゴマ こういう、ライブをする店をやろうという動機はなんですか?

工藤 ボク、音楽が好きでバンドをやってたんだけど、ライブをやるのにあまりいい場所がなかった。
 東京のライブハウスはだいたいそうなんだけど、ノルマがあってチケットを売って、30分出演して、終わったら出て行ってください、と。飲み物も紙コップで、つまみもなくて。高校生や大学生を食い物にするようなのが多かった。

ゴマ それじゃ、なかなか、仲間なんかに来てくれと言いにくい。1~2回は付き合ってくれても、何度も呼べないですね。

工藤 そうそう、アマチュアなんで、音楽で営業をするというよりも、宴会の延長みたいな感じでライブができたらいいなと思っていた。
 で、行き出したのが、新大久保の「大久保水族館」というライブバーです。ちゃんとした食事が出て、飲み物もそれなりにそろっている。
「お客を呼んでくれるんだったら、タダで貸すからいくらでも自由にライブをやってくれていい」と言われて、そこでライブをやるようになった。
 年に3~4回やっているうちに、その店のマスターから、「工藤ちゃんだったら、お店できるよ」と言われてその気になって、会社を辞めちゃったんです。

ゴマ ビジネスモデルがあったわけですね。
 お店を始める前に、料理の修業をされたと伺いました。

工藤 ええ、最初は、知り合いの誘いで四谷の荒木町のミャンマー料理店に行き、その後やはり四谷で沖縄料理店を。中華料理店でも働きました。
 もともと料理が好きで、若い頃に寿司屋でバイトして、寿司をにぎったりしていて、ある程度は、飲食業の様子というのは見えていたけど、やったことのないことをやりたいなと思っていろいろと経験しました。
 ウチはあくまで、食べ物と飲み物で営業をする店です。一人でジャズ喫茶に行くのならいいとして、「いい店があるんだ」と誰かを誘って行くとしたらやはり食べ物がないと。食べ物がないとお酒も進まないじゃないですか。
「ウチは音楽の店だ」とアグラをかいている店を知っているけど、そういうのにはなりたくない。

ゴマ 旨い食べ物と酒、そこに音楽があれば、言うことなしですよね。
 私がときどき行っていた、朝霞台にある「停車場」は古くからの店ですね。毎日のようにライブをしている。そして、後ろの席では仕事帰りのオジサンたちが、乾杯をあげてワイワイやってる。

工藤 ボクは鶴瀬が地元なんで、パオパオという中華の店でライブができるところによく行った。そういうことで商売が成立するんだというのを見て、そこの影響は大きいですね。

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■◆● フロアはハの字の末広がり ●◆■

ゴマ 音楽が好きで、料理が好きで、お店を始めたマスターが苦労するのはいいとして(笑い)、この10年、ママがもっと苦労されたのでは。
 
工藤 イヤー、店をやるというと、ここは一つの会社じゃないですか。
 夫婦と言っても、ボクがオーナーで、妻は従業員だという立ち位置になっちゃうんですよ。それが、夫婦という感覚と店に居るときの感覚とのギャップが出てきて、非常に辛いというのがありましたね。それが5年くらい続きました。

ゴマ やはりね。私がママと最初にお会いした頃と比べて、ここ何年かで、ママの表情がとても柔らかくなったように見えます。

工藤 一番辛かったのは、最初の1年ですね。
 ボクは料理の勉強をしてきたわけです。家庭料理じゃない。それで、プロの状況というのはこういうことをするんだよ、と言っても、妻は根拠がわからないから、納得してもらえない。「いや、私はそうは思わない」って、議論になってしまう。お客さんがいるのに。
「お客さんに料理を提供しなきゃいけないのに、料理の議論をしていちゃダメだよ」とよく言ったものです。すると、「じゃあ、私はただあなたの言うことを聞いてるだけなのね」と。だって、会社はそうでしょう。上司の指示で動かないと、組織は成り立たない。
 だけど、ただ言うことをきいてるうちはまだダメなんですよね。感覚でわかってくると、言われなくても疑問に思わなくなってくる。そして、「あー、ここはそうね」「あれはこうね」と、暗黙のうちにわかってくる。
 今は、彼女に任せていて問題ないんですが、そうなるまでが大変でしたね。やはり、夫婦で一緒にやるってのはかなり難しいんですね。それが、苦労。

ゴマ ママが苦労(笑い)。

工藤 ゴマさんは、奥さんに申し訳ないと思うことないですか?

ゴマ いつも思ってますよ(笑い)。

工藤 そうでしょう。ボクなんかいたたまれなくなることがよくあった。でも、やらざるを得なかったですね。

ゴマ 直接言うのはテレるでしょうから、ここでママへの感謝の気持ちを書いておきますね(笑い)。
 ところで、防音についても、いろいろ手を加えていますね。ここ1~2年でもドアが厚くなったりしています。

工藤 ビルのオーナーとは、防音のことでずっと話をしてきましたね。下の店との関係があったり、かなりハードルが高かったです。
 立ち上げのときに、それなりの防音の工事はしているんですよ。窓ガラスを二重にしたり、ドア側の壁ももう一つ壁を作って全部二重にしてますからね。ステージも床に全部、砂を敷いてあります。
 そのあとも、工事をいろいろやっています。床はコンクリートを流して張り替えました。そして天井を作って、スピーカーを吊って、壁を立ち上げて、ドアを付け替えたりしました。
 追加工事だけで、ザッと1千万くらいかかっていると思います。

ゴマ 防音だけでなく、音響にも気をつかいますよね。

工藤 見ればわかるように、この店の構造がちょっと変わっていて、ハの字の形になっているんですよ。ステージから客席に向かって広がっている。
 音はぶつかり合って反響しますから、音が客席のほうに広がってゆくんです。それと、ステージのほうだけ天井を作ってあって、そこには実は吸音材が入っています。それで、一番奥のドラムの位置の音がかなりデッドになっていて、音が響かない設計になっています。
 プラスティックなんかをやる人は、音を響かせてなんぼだから、ちょっとやりずらいと言う人もいますが、それはマイキングすれば何とかなります。
 たいていの演奏家には、「やりやすい」と評判はいいですよ。

ゴマ なるほど、言われて気がつきました。ハの字の形だと、客席からも見やすくていいですね。
 では、後半は音楽談義などを含めて、お話をお聞きしたと思います。
(2014.07.15取材)
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